今年も終わりですね。
私は年越しそばでも食べて明日の朝帰省します。
来年もよい年でありますように。
今後ともよろしくお願いします。
12/27/2008
12/24/2008
12/18/2008
LIGA DE QUITO
昨日のサッカー・クラブワールドカップでキトが勝ちましたね。
前回ホテルスークレの話題に続いてなんですが、南米エクアドルの首都・キトは標高2800メートルにあって、空気がやや薄い。
まあ普段の生活に支障はないけど、坂をあがったり運動したりするとかなりきつい。
で、われらの滞在中にフットサルをする機会がありました。
ホテルスークレ・日本人旅行者チーム VS スペイン語学校教師チーム。
相手は、「サッカーが人生!」って感じの燃える現地在住のおっさんたちである。
対するわれらは年齢的には若くサッカー経験者も数人。しかし高度順応ができていない。
試合開始とともに激しい応酬戦。
とりあえず有り余る若さと勢いで元サッカー部の子がゴールをあげリードする。
でも次第に息が上がってきてもうヘロヘロ。
しかしおっさんたち以上に勝利にこだわるわれらは(昼食代がかかってた)、ひたすらルール無視の選手交代を繰り返す(3人ずつ一度に交代したり・・・まあこの辺はハンデってことで)。
対するおっさんたちは勢いは全く衰えず、
「あれっ今、2-2で同点だろ?」
とか教師とは思えないすっとぼけぶり。
2-1でうちが勝ってるちゅうに。
中でも校長が一番率先して点数をごまかしてくるのは学校としてどうなんだろ。
そして試合終了。めでたくわれら日本人チームが僅差で勝ったのだった。
交代しまくっってたにも関わらずみんなヘトヘト。
対するおっさんたちは悔しがって落ち込んではいたものの、
「いい汗かいたな~」
って程度であった。高地サッカー恐るべし。
しかし同じ南米ボリビアの首都・ラパスでフットサルをやった日本人がいたらしい。
あそこは標高4000メートルです・・・・
前回ホテルスークレの話題に続いてなんですが、南米エクアドルの首都・キトは標高2800メートルにあって、空気がやや薄い。
まあ普段の生活に支障はないけど、坂をあがったり運動したりするとかなりきつい。
で、われらの滞在中にフットサルをする機会がありました。
ホテルスークレ・日本人旅行者チーム VS スペイン語学校教師チーム。
相手は、「サッカーが人生!」って感じの燃える現地在住のおっさんたちである。
対するわれらは年齢的には若くサッカー経験者も数人。しかし高度順応ができていない。
試合開始とともに激しい応酬戦。
とりあえず有り余る若さと勢いで元サッカー部の子がゴールをあげリードする。
でも次第に息が上がってきてもうヘロヘロ。
しかしおっさんたち以上に勝利にこだわるわれらは(昼食代がかかってた)、ひたすらルール無視の選手交代を繰り返す(3人ずつ一度に交代したり・・・まあこの辺はハンデってことで)。
対するおっさんたちは勢いは全く衰えず、
「あれっ今、2-2で同点だろ?」
とか教師とは思えないすっとぼけぶり。
2-1でうちが勝ってるちゅうに。
中でも校長が一番率先して点数をごまかしてくるのは学校としてどうなんだろ。
そして試合終了。めでたくわれら日本人チームが僅差で勝ったのだった。
交代しまくっってたにも関わらずみんなヘトヘト。
対するおっさんたちは悔しがって落ち込んではいたものの、
「いい汗かいたな~」
って程度であった。高地サッカー恐るべし。
しかし同じ南米ボリビアの首都・ラパスでフットサルをやった日本人がいたらしい。
あそこは標高4000メートルです・・・・
12/17/2008
ホテルスークレ
南米エクアドルの首都キトに「ホテルスークレ」という日本人に人気の宿がある。
ここには管理人として数人の若い兄ちゃんが常駐してて、たまにはゲストと飲みに行ったり、ボーリングしたりしておりました。
われら夫婦も世界一周の時に一ヶ月ほどお世話になってました。
で、この前コロンビア旅友飲み会があって、みなでアルタ前で待ち合わせていると、なんとそのときの管理人の兄ちゃんが登場したのであった。
「・・なんでここに?」
一同唖然。
なんでも日本人と結婚して、今は東京に住んでいて、旅友の1人が今日のことを声かけてた模様。
いやあ~エクアドルから日本って遠いよなあ。
そういえば今、サッカーのクラブワールドカップでキトのチームがきてますね。
かれも見に行くそうです。
もちろん応援もあるけど、同郷人を探しに行くのだそうな。
日本在住のエクアドル人は200人くらいしかいないらしい。
ここには管理人として数人の若い兄ちゃんが常駐してて、たまにはゲストと飲みに行ったり、ボーリングしたりしておりました。
われら夫婦も世界一周の時に一ヶ月ほどお世話になってました。
で、この前コロンビア旅友飲み会があって、みなでアルタ前で待ち合わせていると、なんとそのときの管理人の兄ちゃんが登場したのであった。
「・・なんでここに?」
一同唖然。
なんでも日本人と結婚して、今は東京に住んでいて、旅友の1人が今日のことを声かけてた模様。
いやあ~エクアドルから日本って遠いよなあ。
そういえば今、サッカーのクラブワールドカップでキトのチームがきてますね。
かれも見に行くそうです。
もちろん応援もあるけど、同郷人を探しに行くのだそうな。
日本在住のエクアドル人は200人くらいしかいないらしい。
12/13/2008
12/09/2008
12/06/2008
11/28/2008
11/19/2008
インドって
私は今までインドに4回行きました。
最初は1987年、最後は2004年。
その間大きく変わったこと。
①乞食が減った(特にカルカッタ)。
②野良牛が減った(バラナシだけは変わらん)
③街に人糞が落ちてなくてどことなくきれいになった(公衆トイレが増えたから?プラスチックゴミが増えたけど)。
④庶民のカレーがうまくなった(前はもっと薄かったような・・・)
⑤ナンがどこでも食える(昔は高級レストランにしかなかったはず)。
⑥スタバみたいなカフェが増えた。
変わらないこと
①うさんくさい奴が多い。
②体臭がマサラ香。
③どこも込んでる。
④リキシャで必ずトラブる。
⑤パキと仲が悪い。
まあこんなとこかな。
他にある?
最初は1987年、最後は2004年。
その間大きく変わったこと。
①乞食が減った(特にカルカッタ)。
②野良牛が減った(バラナシだけは変わらん)
③街に人糞が落ちてなくてどことなくきれいになった(公衆トイレが増えたから?プラスチックゴミが増えたけど)。
④庶民のカレーがうまくなった(前はもっと薄かったような・・・)
⑤ナンがどこでも食える(昔は高級レストランにしかなかったはず)。
⑥スタバみたいなカフェが増えた。
変わらないこと
①うさんくさい奴が多い。
②体臭がマサラ香。
③どこも込んでる。
④リキシャで必ずトラブる。
⑤パキと仲が悪い。
まあこんなとこかな。
他にある?
11/17/2008
関西の味
大阪に帰る度に食べるもの。
お好み焼き、ねぎ焼き、たこ焼き、うどん、はまち寿司。
●お好み焼きは東京にもあるし、大阪のチェーン店も出店しているのでまあなんとかOK。でも高い。
大阪のが安くておいしい。
●ねぎ焼き
東京では置いてる店が少ない上にまずい。
これは大阪でないとだめ。
●たこ焼き
東京にもおいしいたこ焼き屋はあるが、なにせ高くて食べる気がしない。
●うどん
関西風薄口うどんだが、東京でもさぬきうどん屋がいっぱいあるのでOKかな.
●ハマチ
わたしはハマチが好きだけど、東京ではマグロに押され気味。
大阪ではよく見かける気がする。
まあこんなとこかな。
お好み焼き、ねぎ焼き、たこ焼き、うどん、はまち寿司。
●お好み焼きは東京にもあるし、大阪のチェーン店も出店しているのでまあなんとかOK。でも高い。
大阪のが安くておいしい。
●ねぎ焼き
東京では置いてる店が少ない上にまずい。
これは大阪でないとだめ。
●たこ焼き
東京にもおいしいたこ焼き屋はあるが、なにせ高くて食べる気がしない。
●うどん
関西風薄口うどんだが、東京でもさぬきうどん屋がいっぱいあるのでOKかな.
●ハマチ
わたしはハマチが好きだけど、東京ではマグロに押され気味。
大阪ではよく見かける気がする。
まあこんなとこかな。
11/16/2008
自慢できず
大阪の家で荷物の整理をしてたら、なんと幼稚園時代の連絡帳が出てきた。
そう、父兄と幼稚園の先生とのやりとりを書いたやつ。
これは私のおぼろげな記憶だが・・・・
私の通ってた幼稚園は田舎だったので、全て専用バス通園だった。
バスは色とデザインによって回るエリアが違ってて、私の乗るのは確か白地に赤ラインの入ったやつ。
でも当時のわたくしはかなりボケた子供で、しょっちゅう乗るバスを間違えて泣きべそかいてた記憶があった。
でも、もしかしたらそれは思い過ごしで利発な子だったに違いないなぁ~なんて思いつつ、あれから36年が過ぎたのだった。
で、今回の連絡帳である。
母と先生のやりとりを読んでみると、
母
「うちの●●ちゃんは、乗るバスを間違えてしょちゅう泣いて帰ってきます。近所の○○ちゃんと同じバスなので、ちゃんと乗せてやるようにお願いします。」
先生
「わかりました。気をつけておきます。」
記憶は確かだったんだ。
記憶のよさでは利発だったけど、やってることは自慢できない・・・・
そう、父兄と幼稚園の先生とのやりとりを書いたやつ。
これは私のおぼろげな記憶だが・・・・
私の通ってた幼稚園は田舎だったので、全て専用バス通園だった。
バスは色とデザインによって回るエリアが違ってて、私の乗るのは確か白地に赤ラインの入ったやつ。
でも当時のわたくしはかなりボケた子供で、しょっちゅう乗るバスを間違えて泣きべそかいてた記憶があった。
でも、もしかしたらそれは思い過ごしで利発な子だったに違いないなぁ~なんて思いつつ、あれから36年が過ぎたのだった。
で、今回の連絡帳である。
母と先生のやりとりを読んでみると、
母
「うちの●●ちゃんは、乗るバスを間違えてしょちゅう泣いて帰ってきます。近所の○○ちゃんと同じバスなので、ちゃんと乗せてやるようにお願いします。」
先生
「わかりました。気をつけておきます。」
記憶は確かだったんだ。
記憶のよさでは利発だったけど、やってることは自慢できない・・・・
11/06/2008
そういえば・・・
この前、沢木耕太郎の講演を聴いた時に、猿岩石の話が出た。
まあ、あれは完全にやらせだったのだけれど、思い出したことが1つ。
私がアフリカで会った、というか出くわした猿岩石のアフリカ版「パンヤオ」。
ある日のケニアのとある町の夕暮れの公園。
2人のアジア系の若者が地面に寝袋を敷いて寝ようとしている。
周りにテレビカメラとスタッフらしき人たち。
「今夜はここで寝ます。おやすみなさい。」
「はい。カット!お疲れ様でした!」
と2人は寝袋をさっさとたたんで、スタッフと共にバンに乗って去って行ったのだった。
「?????」
その時は長旅中だったので彼らのことは全く知らなかったが、宿に帰って宿の日本人に聞いて納得。
まあバラエティだからいいんだけど、あれから誰かマネして死んでないのだろうか。
アフリカの都会で野宿はそれほどやばい。
まあ、あれは完全にやらせだったのだけれど、思い出したことが1つ。
私がアフリカで会った、というか出くわした猿岩石のアフリカ版「パンヤオ」。
ある日のケニアのとある町の夕暮れの公園。
2人のアジア系の若者が地面に寝袋を敷いて寝ようとしている。
周りにテレビカメラとスタッフらしき人たち。
「今夜はここで寝ます。おやすみなさい。」
「はい。カット!お疲れ様でした!」
と2人は寝袋をさっさとたたんで、スタッフと共にバンに乗って去って行ったのだった。
「?????」
その時は長旅中だったので彼らのことは全く知らなかったが、宿に帰って宿の日本人に聞いて納得。
まあバラエティだからいいんだけど、あれから誰かマネして死んでないのだろうか。
アフリカの都会で野宿はそれほどやばい。
11/05/2008
11/04/2008
11/03/2008
恐れずに・・・
昨日からから早稲田祭が始まってます。
で、さっそくゲストを誘って、沢木耕太郎の講演会に行って来ました。
場内は超満員で、学生の他にパッカーらしき人たちの姿も。
題名は「旅の力」。
主催は世界旅行研究会であった。
講演内容は、前置きが長くてややダレ気味であったが、まあ結論から言うと、
「旅は若いうちにしなさい。」
「年とってから若い頃のような旅はできない(まあ年齢に応じた旅はあるけど。)」
「人生経験も浅く、金もないフレッシュな若いうち(学生時代)が旅に出るには一番である。」
まあ、わかるような気がしますね。
最後の締めくくりに、
「恐れずに。でも気をつけて。」
確か小説でも書かれてた言葉だと思うが、作者本人が言うと、なんか重みがありましたかね。
で、さっそくゲストを誘って、沢木耕太郎の講演会に行って来ました。
場内は超満員で、学生の他にパッカーらしき人たちの姿も。
題名は「旅の力」。
主催は世界旅行研究会であった。
講演内容は、前置きが長くてややダレ気味であったが、まあ結論から言うと、
「旅は若いうちにしなさい。」
「年とってから若い頃のような旅はできない(まあ年齢に応じた旅はあるけど。)」
「人生経験も浅く、金もないフレッシュな若いうち(学生時代)が旅に出るには一番である。」
まあ、わかるような気がしますね。
最後の締めくくりに、
「恐れずに。でも気をつけて。」
確か小説でも書かれてた言葉だと思うが、作者本人が言うと、なんか重みがありましたかね。
11/01/2008
10/30/2008
10/27/2008
10/26/2008
10/24/2008
説明
迷った外国人にTenTenへの行きかたを説明する。
まず今どこにいるか、何が見えるかを聞く。
まあこれでだいたいは解決する。
これでも来られない場合、
その辺の店に入るか、歩いてる人をつかまえてもらって、その人に説明する。
これで少なくともその人がどこにいるのかが把握できる。
でも昨日来たアメリカ人、どうしても現在地がわからなくて、仕方なく歩いてる人をつかまえてもらって、その人に電話で説明しようとすると、
「???」
その人も外国人でした。
たぶんアジア系だったので、日本人だと思ってつかまえたのだろう。
インターナショナルな新宿区を実感した瞬間でした。
ちなみに彼は早稲田大学構内をさまよっていたらしい。
まず今どこにいるか、何が見えるかを聞く。
まあこれでだいたいは解決する。
これでも来られない場合、
その辺の店に入るか、歩いてる人をつかまえてもらって、その人に説明する。
これで少なくともその人がどこにいるのかが把握できる。
でも昨日来たアメリカ人、どうしても現在地がわからなくて、仕方なく歩いてる人をつかまえてもらって、その人に電話で説明しようとすると、
「???」
その人も外国人でした。
たぶんアジア系だったので、日本人だと思ってつかまえたのだろう。
インターナショナルな新宿区を実感した瞬間でした。
ちなみに彼は早稲田大学構内をさまよっていたらしい。
10/16/2008
10/12/2008
10/09/2008
10/04/2008
10/02/2008
10/01/2008
9/28/2008
9/24/2008
9/23/2008
9/15/2008
9/09/2008
9/06/2008
8/30/2008
8/25/2008
8/21/2008
8/17/2008
8/15/2008
8/12/2008
8/10/2008
8/08/2008
7/31/2008
7/29/2008
7/27/2008
7/21/2008
7/20/2008
7/15/2008
7/12/2008
7/09/2008
7/02/2008
突入
3日間ほど大阪の実家に帰ってました。
で、用があって市役所に行ったんですが、いつも立ち寄る入口近くの総合窓口がなくなって(というか破壊されて)、代わりに車が突っ込んでいた。
「・・・・」
周りには警官が集まってて、更に役所の職員も業務はこなしているが顔が引きつっている。
「・・・・」
とりあえず用を済まして外に出ると、ヘリが数機上空を旋回している。
「もしかしてテロか!しかしこんな大阪に地方都市でなんでまた・・・・」
と少々怯えつつ帰宅。
夕方のニュースを見ると、
役所と揉めてた男が車にガスボンベやガソリンタンクを積んで突っ込んだとのこと。
テロじゃなかったけど、怖いがな。
で、用があって市役所に行ったんですが、いつも立ち寄る入口近くの総合窓口がなくなって(というか破壊されて)、代わりに車が突っ込んでいた。
「・・・・」
周りには警官が集まってて、更に役所の職員も業務はこなしているが顔が引きつっている。
「・・・・」
とりあえず用を済まして外に出ると、ヘリが数機上空を旋回している。
「もしかしてテロか!しかしこんな大阪に地方都市でなんでまた・・・・」
と少々怯えつつ帰宅。
夕方のニュースを見ると、
役所と揉めてた男が車にガスボンベやガソリンタンクを積んで突っ込んだとのこと。
テロじゃなかったけど、怖いがな。
6/23/2008
6/22/2008
6/17/2008
6/15/2008
6/13/2008
6/11/2008
合気道
若松町に有名な合気道の道場があります。
そこに通う為にわざわざ海外からやって来る生徒さんもいるほど。
うちにもたまにそこの生徒さんが住んでて、毎朝道場に通ってます。
初心者、子どもでもOK。
体と心を鍛えるのもいいかも。
http://www.aikikai.or.jp/jpn/index.htm
そこに通う為にわざわざ海外からやって来る生徒さんもいるほど。
うちにもたまにそこの生徒さんが住んでて、毎朝道場に通ってます。
初心者、子どもでもOK。
体と心を鍛えるのもいいかも。
http://www.aikikai.or.jp/jpn/index.htm
6/10/2008
6/08/2008
イラン
我が旅友が2人イランを旅行中です。
イランといえば、シュークリームですかね。
あれはうまいです。
昔いたときに、ラマダン(断食月)に入ってしまい、日中は食堂が全部クローズ。
スーパーやサンドウィッチスタンドなんかも閉まってて、食べるものがない。
そんなとき、なぜがスウィート屋だけ開いている。なんで?
で、イランではうまいシュークリームがキロ売りで売ってるのでそれをしこたま買い込んで、部屋で(ラマダンなので外で食えない)コーヒーを入れて、食すのだった。
私は甘いものが好きですが、昼食かわりにシュークリームはさすがにきつい。
ちなみにそれは1997年のクリスマスでした....(涙)
イランといえば、シュークリームですかね。
あれはうまいです。
昔いたときに、ラマダン(断食月)に入ってしまい、日中は食堂が全部クローズ。
スーパーやサンドウィッチスタンドなんかも閉まってて、食べるものがない。
そんなとき、なぜがスウィート屋だけ開いている。なんで?
で、イランではうまいシュークリームがキロ売りで売ってるのでそれをしこたま買い込んで、部屋で(ラマダンなので外で食えない)コーヒーを入れて、食すのだった。
私は甘いものが好きですが、昼食かわりにシュークリームはさすがにきつい。
ちなみにそれは1997年のクリスマスでした....(涙)
6/03/2008
5/29/2008
鶏肉
昔、北区の田端に住んだことがあって、家の近くに、老夫婦がやってる「鶏肉専門店」があった。
売ってるのは鶏肉各種、鶏肉を使った惣菜、たまごなど。
契約してる飼育場から毎日届くらしく、肉は柔らかくて脂身も少なくてうまかった。しかも値段もスーパーより若干高い程度。
しかも必ず惣菜をおまけにくれるのがありがたい。
で、この前久しぶりに訪れると、店は既になかった。
跡継ぎがいなかったんだろうな。
残念です。
話は変わるけど、関西では鶏肉のことをかしわと言う。
東京に来たばかりのころ、肉屋で
「かしわ1枚下さい。」って言ったら、
「かしわ餅?」と言われた。
あれって関西弁だったんですね。
売ってるのは鶏肉各種、鶏肉を使った惣菜、たまごなど。
契約してる飼育場から毎日届くらしく、肉は柔らかくて脂身も少なくてうまかった。しかも値段もスーパーより若干高い程度。
しかも必ず惣菜をおまけにくれるのがありがたい。
で、この前久しぶりに訪れると、店は既になかった。
跡継ぎがいなかったんだろうな。
残念です。
話は変わるけど、関西では鶏肉のことをかしわと言う。
東京に来たばかりのころ、肉屋で
「かしわ1枚下さい。」って言ったら、
「かしわ餅?」と言われた。
あれって関西弁だったんですね。
5/20/2008
新規オープン
神楽坂に新しいゲストハウスがオープンします。
その名も、ジャーン!
「ゲストハウス九龍城(クーロン城) 神楽坂店」
ドミトリーのみで全18ベッド。
家賃は当面シャワーなしで30日3万円。シャワー設置後は36000円です。
デポジット1万円が別途必要です。
場所はメトロ東西線神楽坂駅徒歩5分です。
詳しくはHPをごらん下さい。
http://www.guesthouse-kagurazaka.com/
ちなみに九龍城って知ってますか?
もう取り壊されたけど、かつて香港にあった治外法権のビルの集合体です。
私も学生時代にちょっと入ったことがあるけど、内部はうす暗くて、ジメジメしてて、怪しかったです。
住んでる人はとりあえず普通な感じですが、よそ者はジロジロ見られます。
詳しくはこちら。
http://www.funkygoods.com/hai/kl/kl.html
その名も、ジャーン!
「ゲストハウス九龍城(クーロン城) 神楽坂店」
ドミトリーのみで全18ベッド。
家賃は当面シャワーなしで30日3万円。シャワー設置後は36000円です。
デポジット1万円が別途必要です。
場所はメトロ東西線神楽坂駅徒歩5分です。
詳しくはHPをごらん下さい。
http://www.guesthouse-kagurazaka.com/
ちなみに九龍城って知ってますか?
もう取り壊されたけど、かつて香港にあった治外法権のビルの集合体です。
私も学生時代にちょっと入ったことがあるけど、内部はうす暗くて、ジメジメしてて、怪しかったです。
住んでる人はとりあえず普通な感じですが、よそ者はジロジロ見られます。
詳しくはこちら。
http://www.funkygoods.com/hai/kl/kl.html
5/13/2008
5/11/2008
5/08/2008
4/28/2008
4/23/2008
4/20/2008
4/18/2008
4/17/2008
4/15/2008
4/10/2008
4/09/2008
思い出のゲストハウスその⑩

今回はブラジルはバイーア・デ・サルバドールにある「青い家」。
別に日本人経営でもなく、許可も取ってない闇宿です。
「青い家」というのは、外壁が青いというだけの単なる通称で、正式な名前も特になし(まあ闇宿なので)。
ここに集まるのは日本人とイスラエル人。集まるたがる2大民族が共存しているわけです。
で、サルバドールといえばカーニバルが有名。
リオとは違い、庶民参加型なので世界中から若者が集まってくる。
当然青い家も予約で満室。
で、そんなときは近くの家を借りて別館として営業しているのである。
別館の外壁は黄色。名前は想像つきますよね。
夜に盛り上がるカーニバル期間中はみんな昼寝て夜動く毎日。
昼過ぎに起きて青い家の屋上でまったりして、ご飯作って(ここは魚介類が新鮮で安い)、そしてちょっと怖い街へと出て行くのであった。
まさに合宿気分。
ちなみに隣にはなお宿という日本人ミュージシャン経営の宿があって、こちらに泊まれば太鼓隊に参加できます。
熱いカーニバルのサルバドールへ是非どうぞ。
カーニバルの様子
http://jp.youtube.com/watch?v=DVUMDHM5NoU
写真は青い家の屋上」
4/07/2008
4/01/2008
目印消滅
ゲストハウスの近くのローソンが昨日閉店しました。
初めてゲストハウスに来る人にとって格好の目印であり、こちらも道を説明する時に、
「ローソンを通り過ぎて○軒目のビルです。」
と説明していた。
しかも英吾表記だったので外国人にもわかりやすかった。
更にうちのゲストの子が以前ローソンで働いていたこともあり、とりあえずローソンで聞けばうちに辿り着けたのだった。
そんなローソンがなくなって、ゲストハウスに辿り着く目印が消滅。英語表記で且つ目立つ店が見つからない。
そういえばもう1つの目印だった向かいのモスバーガーも去年なくなったし。
うちの目印になると閉店する・・・
なんて恐ろしい因縁ができたりして・・・
初めてゲストハウスに来る人にとって格好の目印であり、こちらも道を説明する時に、
「ローソンを通り過ぎて○軒目のビルです。」
と説明していた。
しかも英吾表記だったので外国人にもわかりやすかった。
更にうちのゲストの子が以前ローソンで働いていたこともあり、とりあえずローソンで聞けばうちに辿り着けたのだった。
そんなローソンがなくなって、ゲストハウスに辿り着く目印が消滅。英語表記で且つ目立つ店が見つからない。
そういえばもう1つの目印だった向かいのモスバーガーも去年なくなったし。
うちの目印になると閉店する・・・
なんて恐ろしい因縁ができたりして・・・
3/30/2008
3/25/2008
チベット
最近チベットが注目を浴びてます。
私が行ったのは1988年だったかな。
当時は外国人料金なるものがあって、宿や乗り物で外国人は人民の数倍の料金を請求された。
で、ラサからネパールに抜ける為立ち寄った小さな町の宿でのこと。
我ら外国人は人民の2倍の料金を言われた。
まあ、もとがたいした料金じゃなかったし、宿はそこしかなかったので欧米人と一緒におとなしく支払った。
するととなりで中国人(漢族)がもめているのが聞こえた。
「なんで俺たちも外国人料金なんだ。俺たちは中国人だ。身分証もあるぞ!」
「ふん、ここはチベットだ!!」
「・・・・」
おお~堂々とした態度。
彼らも仕方ないなという顔で支払っていた。
そう、彼らにとってここはチベットという国なのでした。
まあ~チベット人100%の田舎町だし、ラサじゃあこうはいかないだろう。
外国人料金が表向きなくなった今、どうなっていることやら。
私が行ったのは1988年だったかな。
当時は外国人料金なるものがあって、宿や乗り物で外国人は人民の数倍の料金を請求された。
で、ラサからネパールに抜ける為立ち寄った小さな町の宿でのこと。
我ら外国人は人民の2倍の料金を言われた。
まあ、もとがたいした料金じゃなかったし、宿はそこしかなかったので欧米人と一緒におとなしく支払った。
するととなりで中国人(漢族)がもめているのが聞こえた。
「なんで俺たちも外国人料金なんだ。俺たちは中国人だ。身分証もあるぞ!」
「ふん、ここはチベットだ!!」
「・・・・」
おお~堂々とした態度。
彼らも仕方ないなという顔で支払っていた。
そう、彼らにとってここはチベットという国なのでした。
まあ~チベット人100%の田舎町だし、ラサじゃあこうはいかないだろう。
外国人料金が表向きなくなった今、どうなっていることやら。
3/24/2008
3/22/2008
3/17/2008
3/13/2008
麺か飯か

香港の航空会社で、ドラゴン航空(港龍航空)という会社があります。
かなり前のことだけど、香港からカンボジアのプノンペンまで乗った時のこと。
昼食タイムになって、スッチーが機内食を配り出す。
中華系エアラインなので期待できるかも。
さてさて自分の番がやって来た。
普通なら、
「ビーフ オア フィッシュ?」
とか尋ねられるのが定番なのだが、そこはさすが中華系。
「ライス オア ヌードル?」
「・・・・」
う~ん、意表を突く言葉だったので一瞬考え込む。
すると言葉が通じなかったと思われ、
「チーミエン チーファン?」
「セック メン セック ファーン?」
と北京語と広東語で聞かれる。
結局面倒になって麺にした。
出てきたのは牛肉ヌードル。
お隣さんはご飯を注文したらしく、覗いて見ると、白身フライ餡かけご飯だった。
だったら、ビーフ オア フィッシュと聞けばいいんじゃないかと突っ込みたくなったが、そこは中華系の何らかのポリシーがあったものと思われる。
ちなみに牛肉麺うまかったです。
3/11/2008
3/08/2008
3/06/2008
2/24/2008
北京ダック
学生時代に中国に行った時、生まれて初めて北京ダックというものを食べた。
場所は北京にある北京ダックの老舗「全聚徳」。
貧乏パッカー数人で乗り込み、まずビールで乾杯。
その後は大量の前菜から始まり、北京ダック、スープ、デザートとまさにフルコース。この皮のパリパリ感がたまらんかった。
店自体は古ぼけてて、店員もそっけなくて(どこもそうだったが)何かさえない感じだったけど、さすが(といっても初めて食べたんだけど)という満足度でした。
料金もかなり安かった。確か1人千円しなかったはず。しかも人民元払いでOKだったし。
その後も北京ダックは何回か食べたが特においしかった記憶なく時は過ぎ・・・
2006年の世界一周の帰り。
カシュガルの街角を歩いていたら、なんとあの全聚徳のカシュガル支店を発見した。
高級そうなホテルの中にあって、内部はかなり豪華そう。
しかし、中央アジアのマンネリ飯に苦しめられて来た反動もあって、嫁と二人で、えいやっ!と店に入る。
そして、とりあえず一番安いコースを注文。
78元(約1200円)とある。
まあ・・・安いんじゃないかな。
店員の教育が行き届いているせいか、みな礼儀正しく、料理が運ばれてくるたびに、
「えーと、この料理はあ~」
と料理の説明をしてくれる。
いまいち内容は理解できなかったが、まあサービス自体はいい。
肝心の味の方は、舌が食べ物を欲してたせいもあって、かなりうまかったです。あのころを少し思い出した。
そして会計。
78元は2人分の料金でした。
安!!
ニセモノ全聚徳?
んなわけないよなあ~
全聚徳ホームページ
http://www.zenshutoku.com/
場所は北京にある北京ダックの老舗「全聚徳」。
貧乏パッカー数人で乗り込み、まずビールで乾杯。
その後は大量の前菜から始まり、北京ダック、スープ、デザートとまさにフルコース。この皮のパリパリ感がたまらんかった。
店自体は古ぼけてて、店員もそっけなくて(どこもそうだったが)何かさえない感じだったけど、さすが(といっても初めて食べたんだけど)という満足度でした。
料金もかなり安かった。確か1人千円しなかったはず。しかも人民元払いでOKだったし。
その後も北京ダックは何回か食べたが特においしかった記憶なく時は過ぎ・・・
2006年の世界一周の帰り。
カシュガルの街角を歩いていたら、なんとあの全聚徳のカシュガル支店を発見した。
高級そうなホテルの中にあって、内部はかなり豪華そう。
しかし、中央アジアのマンネリ飯に苦しめられて来た反動もあって、嫁と二人で、えいやっ!と店に入る。
そして、とりあえず一番安いコースを注文。
78元(約1200円)とある。
まあ・・・安いんじゃないかな。
店員の教育が行き届いているせいか、みな礼儀正しく、料理が運ばれてくるたびに、
「えーと、この料理はあ~」
と料理の説明をしてくれる。
いまいち内容は理解できなかったが、まあサービス自体はいい。
肝心の味の方は、舌が食べ物を欲してたせいもあって、かなりうまかったです。あのころを少し思い出した。
そして会計。
78元は2人分の料金でした。
安!!
ニセモノ全聚徳?
んなわけないよなあ~
全聚徳ホームページ
http://www.zenshutoku.com/
2/23/2008
外国人もバス
日本にくる外国人の個人旅行者。
最近耳にするのは夜行バスでの移動。
「今夜の夜行で京都に行くんだけど、なかなかチケットがとれなくて。日本はホリデーなのか?」
そう、お金を節約する彼らにとって、格安のバスは貴重なのだった。
日本語が話せなくてもJRバスなら駅でチケット買ってターミナルから普通に乗れるし、日本語がわかる(特に韓国、台湾人)なら、ネットで予約するツアーバスにも乗れる。ちなみに京都までは格安便で片道3500円也。
「セイシュン エイティーン チケット(青春18きっぷ)はどこで買えるの?」
というつわものもおります。
なにはともあれ、よい旅を。
最近耳にするのは夜行バスでの移動。
「今夜の夜行で京都に行くんだけど、なかなかチケットがとれなくて。日本はホリデーなのか?」
そう、お金を節約する彼らにとって、格安のバスは貴重なのだった。
日本語が話せなくてもJRバスなら駅でチケット買ってターミナルから普通に乗れるし、日本語がわかる(特に韓国、台湾人)なら、ネットで予約するツアーバスにも乗れる。ちなみに京都までは格安便で片道3500円也。
「セイシュン エイティーン チケット(青春18きっぷ)はどこで買えるの?」
というつわものもおります。
なにはともあれ、よい旅を。
2/21/2008
マーボー豆腐
中国は四川省にある陳麻婆豆腐店。
マーボー豆腐を発明(?)した店です。
名前は、陳おばあさんが作ったことに由来しているとか。
こ私が行った80年代。
元祖なんだから、きっと豪華な店にちがいないと思いつつ行ってみると、ただの古ぼけてすすけた小さな店であった。
で、これが半端じゃなくすげえ辛い。
原因は唐辛子ではなく、どっさり入った山椒である。
舌がしびれて味わうどころではない。
他の中国人は平気なのかと周りを見渡すと、
「アイヤー!!」
隣の香港人も奇声を発していた。
広東人には辛すぎると思われる。
ちなみに四川人は平気で食べてた。恐るべし・・・
と、こんなことをマーボー豆腐を作りながら思い出したのだった。
ちなみに今は老舗らしく、きれいな店になっているようです。
マーボー豆腐を発明(?)した店です。
名前は、陳おばあさんが作ったことに由来しているとか。
こ私が行った80年代。
元祖なんだから、きっと豪華な店にちがいないと思いつつ行ってみると、ただの古ぼけてすすけた小さな店であった。
で、これが半端じゃなくすげえ辛い。
原因は唐辛子ではなく、どっさり入った山椒である。
舌がしびれて味わうどころではない。
他の中国人は平気なのかと周りを見渡すと、
「アイヤー!!」
隣の香港人も奇声を発していた。
広東人には辛すぎると思われる。
ちなみに四川人は平気で食べてた。恐るべし・・・
と、こんなことをマーボー豆腐を作りながら思い出したのだった。
ちなみに今は老舗らしく、きれいな店になっているようです。
2/17/2008
思い出のゲストハウスその⑨

さて前回お話したフンザの宿。ハイダール・イン。
写真が私に茶代を請求したオーナーのハイダール爺です。
かつてはアフガン戦争で兵士として活躍していたという。
見た目は怖いが非常にやさしい爺さんなのである。
結構やさしいところがあって、ご飯も作ってくれるし(有料)、お茶も入れてくれます(有料)。
向かいの宿とは中が悪くて(確か親戚同士だったかな)、いつも喧嘩ばかり。
「やっと電気シャワーがついたぞ!これでホットシャワーが浴びれるぞ。お客増えるわい。」
と、喜んで報告に来た途端、全村が停電。それから5日間はずっと停電、シャワーどころか明かりもろうそくのみの生活に。それはそれでいいんだけど。
こんな爺さんだが、パッカーの間ではすっかり有名になり、日本でTシャツが発売されるほど(本人の了解済)。
まだ元気でやってるのかな。
2/16/2008
旅の教訓
私は海外で、1度だけ病院に行ったことがあります。
場所はパキスタンのフンザ。
昼食に食堂で牛肉カレーを注文。
インドでは食べられなかった牛肉がうれしくて一気に食べまくる。
で、その肉が非常に固く、そして1口サイズよりやや大きめ。
まあ噛み切らんでも大丈夫だろう、
と思い切って飲み込む。でものどを通らず、さりとて出すこともできず、
「うっ、息が・・・・苦しい・・・」
その場でドーンと地面に倒れこむ。
「なんだ、なんだ、どうしたんだ。ジャパニ。」
と周りの客が寄ってくる。
これはえらいこっちゃ。
というわけで、食堂の前で逆立ちさせられて、足首を持って揺すってもらう。
こんな往来の真ん中でええ見世物だが、こっちはそれどころではない。
「だめだ。病院だ!!」
と、すぐ近くのボロ病院へつれてってもらう。
その道すがら泊まっている宿を通る。
宿のおやじは、何事かという顔で見ている。
病院に着いて、口の中にヘラを突っ込まれて、やっと長さ15センチくらいに伸びきった肉の残骸が出てきた。
「わしはヘラ突っ込んだだけや。お金はいらんわ。」
と先生に言われ、そそくさと宿に帰る。
「そうか。大変だったな。まあお茶でも飲みなさい。」
と、事情を聴いた宿のおやじはやさしくお茶を入れてくれた。
その後しばらくは、
「もう大丈夫か?」
とみんなに声をかけられた。
小さな村なので、私はすっかり有名人になった模様。
ちなみにチェックアウトの時、入れてくれたお茶はきっちりと請求された。
なんや、ただじゃなかったんか。
旅先ではちゃんと噛んで食べましょうね。
という教訓でした。
場所はパキスタンのフンザ。
昼食に食堂で牛肉カレーを注文。
インドでは食べられなかった牛肉がうれしくて一気に食べまくる。
で、その肉が非常に固く、そして1口サイズよりやや大きめ。
まあ噛み切らんでも大丈夫だろう、
と思い切って飲み込む。でものどを通らず、さりとて出すこともできず、
「うっ、息が・・・・苦しい・・・」
その場でドーンと地面に倒れこむ。
「なんだ、なんだ、どうしたんだ。ジャパニ。」
と周りの客が寄ってくる。
これはえらいこっちゃ。
というわけで、食堂の前で逆立ちさせられて、足首を持って揺すってもらう。
こんな往来の真ん中でええ見世物だが、こっちはそれどころではない。
「だめだ。病院だ!!」
と、すぐ近くのボロ病院へつれてってもらう。
その道すがら泊まっている宿を通る。
宿のおやじは、何事かという顔で見ている。
病院に着いて、口の中にヘラを突っ込まれて、やっと長さ15センチくらいに伸びきった肉の残骸が出てきた。
「わしはヘラ突っ込んだだけや。お金はいらんわ。」
と先生に言われ、そそくさと宿に帰る。
「そうか。大変だったな。まあお茶でも飲みなさい。」
と、事情を聴いた宿のおやじはやさしくお茶を入れてくれた。
その後しばらくは、
「もう大丈夫か?」
とみんなに声をかけられた。
小さな村なので、私はすっかり有名人になった模様。
ちなみにチェックアウトの時、入れてくれたお茶はきっちりと請求された。
なんや、ただじゃなかったんか。
旅先ではちゃんと噛んで食べましょうね。
という教訓でした。
2/13/2008
思い出のゲストハウスその⑧

今回は、ペルーの首都リマにある、いやかつてあったペンション西海(にしうみ)のお話。
ここは夫婦で切り盛りしてきたが、旦那さんが亡くなってだいぶ前に閉めてしまった。
当時は食事(和食)付きで情報ノートや日本の本が充実してて安かったのでパッカーには大人気宿であった。
リマの中心部にあるのだが、非常に治安の悪いエリアにあり、宿の周辺での強盗事件が絶えなかった。
特に宿に初めて行く人が狙われて、日本大使館からも注意が出ていたほど。
とりあえずタクシーで宿の玄関に横付けして、運ちゃんに呼び鈴を押してもらい、ドアが開いたらさっさと中に駆け込むのが鉄則であったとか。
さて、宿は閉めてしまったが、奥さんはまだここで暮らしている。
奥さんの和食は好評だったので、パッカー向けの食堂として続けていくことになった。
普通に営業するのではなく完全予約制。
同じくリマにあるペンション沖縄の情報ノートには西海の連絡先やメニューが載ってて、旅行者が人数を募って予約するシステム。人数が多いほどメニューが増えるし、値段も安くなるのだった。
「もしもし。西海さんですか?今夜6人で予約したいんですが」
「いいわよ。メニューは何がいい?」
「すきやきと刺身とアナゴ丼。」
「あ~刺身はもう市場が閉まってるから無理ね。アナゴもこの時間じゃあないし。他の魚でテンプラならできるけど。カレーもいいわよ。」
「あっじゃあそれで何品かお願いします。」
「わかりました。」
こんな具合。
で、約束の日にみんなでタクシーで乗り付けて、奥さんが作っている間は本や情報ノートを読んで過ごす。
本はみな年季が入ってて、ノートは1990年代を最後に書き込みは殆どなくなっている。
地球の歩き方の79年版南米編なんてのもあって、びっくりする。
そして食事タイム。
メニューはすきやき、丼、テンプラ、刺身、味噌汁など様々。ご飯(日本米っぽいやつ)は食べ放題。
和食に飢えている旅行者にとっては天国のような瞬間だ。
帰りはタクシーを呼んでもらってみなで帰るのだった。
行きしなにこの辺の様子は見ているので、歩いて帰ろうなんていう人は誰もいない。
ああ~食った食った・・・
2/11/2008
2/02/2008
1/31/2008
1/30/2008
1/26/2008
1/24/2008
1/22/2008
夜行バスでも過ごし方
最近、夜行バスに乗ることが多い。
東京から大阪へは約9時間。
バス中ですることと言えば、
まず音楽を聴くーずっと聴いてると飽きる。
文庫本を読むー消灯後は読みづらい。
隣の乗客と話すーいい人ならいいが。
これくらいかな。
最近は週刊文春を買って読んでいる。
我が家はテレビも新聞もないので、芸能界も含めて色々世間の動きをざっと知ることができる。
なぜ文春かというと、エッセイが比較的面白いので昔から週刊誌買うなら文春という思いがあるから。
ただそれだけです。
他に過ごし方なんかあるかなあ~
東京から大阪へは約9時間。
バス中ですることと言えば、
まず音楽を聴くーずっと聴いてると飽きる。
文庫本を読むー消灯後は読みづらい。
隣の乗客と話すーいい人ならいいが。
これくらいかな。
最近は週刊文春を買って読んでいる。
我が家はテレビも新聞もないので、芸能界も含めて色々世間の動きをざっと知ることができる。
なぜ文春かというと、エッセイが比較的面白いので昔から週刊誌買うなら文春という思いがあるから。
ただそれだけです。
他に過ごし方なんかあるかなあ~
1/20/2008
震災
阪神大震災から13年経った。
もうそんなに経ったのかって感じです。
あの時、私は西宮に住んでて震災に遭いました。
あの朝、まず地鳴りで目が覚め、その後激震。
暗闇で訳がわからず揺れに身を任せ、そして揺れが収まったあとに、
「どーーーーん」
というなんとも不気味な低音がして、そして静かになった。
揺れる前に目が覚めたので怪我はしなかったのは幸いかも。
とりあえず停電してるのでどこで何が起こったのかもわからず他の住人(会社の独身寮です)と共に外に出てみる。
ガス臭い・・・そして前の家が崩れている。
駅の方に歩いていく。
8階建てのマンションが倒れて駅舎に突っ込んでいた。
その時点でコンビにには水などを買う人がちらほら。そして急いで車でどっかに避難していく人がいた。
倒壊した駅のマンションの住人は全員死亡。
しかも救助が始まったのは地震後1週間経ってからで、それまでは中の住民ともども放置。というかもっと悲惨な神戸の救済を優先した結果。
街には自衛隊が溢れ、やっと開通した電車はでかい荷物を持った人が鈴なりになっている。
終戦のビデオを見ているみたいな光景が2ヶ月続いたのだった。
ちなみにあの不気味な低音は、阪神高速と新幹線の高架が同時に倒壊する音だったと後で知った。
地鳴りと倒壊音、今でも忘れられない音。
もうこりごりやわ。
もうそんなに経ったのかって感じです。
あの時、私は西宮に住んでて震災に遭いました。
あの朝、まず地鳴りで目が覚め、その後激震。
暗闇で訳がわからず揺れに身を任せ、そして揺れが収まったあとに、
「どーーーーん」
というなんとも不気味な低音がして、そして静かになった。
揺れる前に目が覚めたので怪我はしなかったのは幸いかも。
とりあえず停電してるのでどこで何が起こったのかもわからず他の住人(会社の独身寮です)と共に外に出てみる。
ガス臭い・・・そして前の家が崩れている。
駅の方に歩いていく。
8階建てのマンションが倒れて駅舎に突っ込んでいた。
その時点でコンビにには水などを買う人がちらほら。そして急いで車でどっかに避難していく人がいた。
倒壊した駅のマンションの住人は全員死亡。
しかも救助が始まったのは地震後1週間経ってからで、それまでは中の住民ともども放置。というかもっと悲惨な神戸の救済を優先した結果。
街には自衛隊が溢れ、やっと開通した電車はでかい荷物を持った人が鈴なりになっている。
終戦のビデオを見ているみたいな光景が2ヶ月続いたのだった。
ちなみにあの不気味な低音は、阪神高速と新幹線の高架が同時に倒壊する音だったと後で知った。
地鳴りと倒壊音、今でも忘れられない音。
もうこりごりやわ。
1/15/2008
ごはんの話
今日はごはんの話です。
場所はインドのバラナシ。
旅行者が多い有名観光地のため、町中に外人向けレストランがひしめいている。
そして日本食を出す店も多い。
とあるインド人経営の店のメニューを見ると、
ラーメンライス
広島風お好み焼き
オムライス
などなど、うまそうなメニューがずらり
恋しい和食を想像して、ためしにラーメンライスを注文する。
で、10分ほどで出てきたものは・・・
ラーメン鉢に入ったインスタントラーメン。そして底にはご飯が沈んでいる。
これって、なんかイヌネコの夕食みたい。
食べてみる。
・・・まあ予想通りの味・・・
落胆・・・
広島風お好み焼きは怖くて頼めなかったです。
どんなのが出てくるんだろうか・・・
教訓、
「日本食が恋しい時はネパールまで我慢すべし」
場所はインドのバラナシ。
旅行者が多い有名観光地のため、町中に外人向けレストランがひしめいている。
そして日本食を出す店も多い。
とあるインド人経営の店のメニューを見ると、
ラーメンライス
広島風お好み焼き
オムライス
などなど、うまそうなメニューがずらり
恋しい和食を想像して、ためしにラーメンライスを注文する。
で、10分ほどで出てきたものは・・・
ラーメン鉢に入ったインスタントラーメン。そして底にはご飯が沈んでいる。
これって、なんかイヌネコの夕食みたい。
食べてみる。
・・・まあ予想通りの味・・・
落胆・・・
広島風お好み焼きは怖くて頼めなかったです。
どんなのが出てくるんだろうか・・・
教訓、
「日本食が恋しい時はネパールまで我慢すべし」
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